動物実験の残虐性 -1-

 

   科学のあらゆる分野で、罪のない動物が人間の罪や過ちの身代わりのヤギとして奉仕させられている。

     
     われわれは煙草を吸うが、動物は吸わない。

     だからわれわれは、動物にとっては拷問であるが人間にとっては快楽である喫煙を動物に強いるのだ。


     われわれは酒を飲むが、動物は飲まない。

     だからわれわれは、動物にアルコールを注入して肝硬変を起こさせる。


     われわれは麻薬を吸うが、動物は吸わない。

     だからわれわれは、動物を麻薬中毒患者にする。


     われわれは日常の暴飲暴食のために不眠症になるが、動物はそうならない。

     だからわれわれは、動物が狂気になるまで眠らせないでおく。


     われわれは不自然な生活状態のためにストレスを起こすが、動物は起こさない。

     だからわれわれは、彼らを回転する車輪の中に入れて外傷を負わせ、ストレスの状態にする。


     われわれは技術不足や不注意のために自動車事故を起こすが、動物は起こさない。

     だからわれわれは、彼らを車に縛り付けて壁に衝突させる。


     われわれは悪い食物や有毒な薬品を摂取したり、

     われわれだけが生じさせる汚染によって癌になるが、動物はそうならない。
 
     だからわれわれは、何百万という動物に癌を起こさせ、拷問を与え続けて、

     人間が大量に生じさせたもっとも残酷な疾病で彼らが徐々に衰弱してゆくのを眺めているのである。

                                                  



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  実験室の動物は、高熱で震えていたり、肝臓や胆嚢の激痛状態に

  ありながら、なぜ金網の檻に閉じ込められたり、結紮針を肉の中に

  入れるために手術台に縛り付けられたりするのかはわからない。

  また、周りを取り囲んでいる大きな白衣を着た怪物が、腹を絞り上げ、

  何度も何度も強制的に食物を与え、すでに裂けている食道の中に

  粉やら液体やらを押し込み、肝臓を破壊し腸をねじり上げ、

  何度も何度も嘔吐させたり排便させて、その後で檻を清潔にしておくために

  冷たいシャワーを浴びせられたりするのかわからない。

  また、陰嚢にさらに電気ショックを与え、腸や脳に苦痛を起こし、
 
  またもや痙攣を生じさせるのかわからない。

 

実験動物にとっては、

死ということが慈悲と楽園の同義語である。

しかし彼らの大半 

―おそらく類人猿は例外であろうがー には、

死の概念はない。

だから、自分たちの苦しみには遅かれ早かれ

終わりが必ずあるということを知る

慰めすら持っていない。



脊髄の実験で足を不自由にさせられ、
さらに回転台での歩行を強制させられる猫。
このような残虐な行為から一体何が分かるというのか?


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     動物実験者のすべてがサディズムであると信じるのは誤りであるとしても、

     サディズムがこの行為には大して関係がないなどと考えることは、さらに大きな誤りであろう。(中略)

     サディズムが成人に表れてぞっとする嫌悪感を催させるような形をとるようになると、

     それは病気と重大な精神障害の印となる。心理学者は、この病理学的状態は、

     大方の人が想像しているほど稀なものではないと断言している。

     サディストにとって動物実験ほど便利な活動があるだろうか?

     動物実験で、人はこの傾向を満足させることができ、その過程で多少の「科学的な」名誉か、

     少なくとも楽な収入を手に入れることができるのである。

 

“動物実験の残虐性 -2-”