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  家畜工場の、そして屠殺場の映像を見た。

  衝撃的だった。

  写真や画像は多く目にしたことがあるものの、

  実際の映像というのはやはりぜんぜん違うものだった。

  後ろを向くことさえできない、自分のからだにぴったりの狭い檻の中で、

  ただひたすら毎日を過ごす雌豚。

  すべての人たちに想像してみてもらいたい。
 
  同じ姿勢で24時間過ごさなければいけない自分を。

  そしてそんな毎日が来る日も来る日も続くことを。殺されるその日まで。

  これは虐待以外のなにものでもない。

  屠殺されるその日、電気棒で追い立てられながら、

  虐待の末に弱り果てたからだを、びっこを引きながら、もだえながら、

  必死で走っていく。屠殺場に向かって。殺されるために。

  屠殺場につき、意識がまだ残る中、喉を大きなナイフで掻き切られる。

  血が地面いっぱいに流れ落ちてゆく。

  苦痛で狂うように体を動かす豚たち。


  狭い檻の中で、首を鎖でつながれて、その鎖を何とか外そうと

  必死で暴れる子牛。決して外れることのない鎖を。

  彼らの飲むはずの母親のミルクは、決して彼らには与えられず、

  私たち人間に取られてしまう。

  機械によって絶えず搾り取られていく雌牛たちの乳。


  私には、どうしても理解することができない。

  私たち人間はこうまでして動物たちを食べなければいけないのだろうか。

  美味しいからという理由だけで、彼らは苦痛と屈辱に満ちた一生を送らなければならないのだろうか。

  私たち人間のために。

  もしそうだとしたら、私は断固として訴える。

  動物を食するすべての人々は、一度どのようにして肉が作られるかを見るべきだと。

  どのようにして育てられるのか、どのようにして殺されるのか、

  その時の彼らの表情、目、叫び、すべてを見て聞くべきだ。

  よく人は、感謝の気持ちをもって動物を食べましょう、などと言うけれど、

  実際、食用動物たちの実態を見たらどう思うだろう。

  動物たちが、“人間に感謝されるためなら、虐待されても苦痛に満ちた死を迎えても仕方がない”、

  などど思っているなんて私には到底考えられない。

  感謝の気持ちなんて嘘だと私は思う。

  ただ単に肉を食べるときの口実にすぎないのではないかと思う。

  残酷な事実は見ないようにして、考えないようにして、肉を美味しいと食べ続けることは

  とても罪なことだと思う。


  気候などの関係上、肉を食べなければ生きていけない人たちがいる。

  自分の手で動物を殺し、動物が苦しみ血を流すのを目にし、

  感謝の気持ちをもって動物を食し、血から骨まですべてを利用する。

  私はもしこのような土地に生れていたならば肉を食べていただろう。

  例えば野生のライオンが鹿を殺す。ウサギを殺す。

  でも決して無駄に殺したりはしない。散々苦しめて殺したりもしない。

  これらはすべて食物連鎖の上に成り立っていることだから私は納得できる。

  でも、先進国での食用動物の消費の仕方には私は絶対に納得できない。

  自然に従うのではなく、人間の都合に合わせるために、過剰に動物を“生産”し、

  消費者はパック詰めされたきれいな肉を目にするのみ。

  そして結果大量に余る食肉のごみ。

  大量生産といえども、その動物たちそれぞれが私たちと同じように個性を持ち、感情を持っている。

  みんなが好んで一緒に暮らしている犬や猫。

  でも、食用とされている牛や豚や鶏たちだって、犬や猫と何ら変わらない、

  みんなきれいな目を持ち、尊い命を持っているのだ。