動物実験の残虐性 -2-


      イギリスの生理学者ジョージ・ホガン博士は、自分がクロード・ベルナールの実験室で目撃した

      1つの出来事を述べている。手術の結果、下半身が麻痺した一匹の小さな雑種犬が手術台から

      外されて、床の上に置かれていた。そのイヌは、数日前別の実験のために盲目になり観察中であった

      レトリーバー犬の方に苦労して体を引きずって行った。その犬の目は腐敗しかけていた。

      盲目のイヌは何とかして身を起こし、半身が麻痺した雑種犬のほうにおぼつかない足取りで歩いて行き、
  
      尾を振った。実験室の他の人間はその行動に誰も気付いていないようであった。

      それでホガン博士は心を動かされ、つぎのように書いた。

      「イヌ同士の同情を示すこの感動的な仕草には、人間が恥じ入るほどであった。」


      麻酔の後では、ネコは非情な吐き気に苦しみ、よく嘔吐する。

      きつく縛りつけられていて身動きできないこと自体が、究極的には拷問となる。

      下顎骨の関節は、開口器の為に損傷されるか折れてしまう。それは手術中、口を「できるかぎり広く開けて」

      おかねばならないと指示されているからである。舌には穴が開けられる。それで舌は腫れあがり、

      苦痛は一層増大する。口蓋は切断され、頭蓋骨は穿孔器で開けられているので、

      外傷と耐えられない苦痛が増大する。

 



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「私は自分の飼い犬を科学研究者の手に委ねるぐらいなら、

屠殺業者に殺してもらいたいと思います。

研究者は文明人のようなふりをしていますが、

野蛮人の心と手を持っているのです。手段がどのようなものであれ、

実験がどんなに身の毛のよだつようなものであっても、

彼らは最終結果がそれを正当化するのだと主張します。

彼らの生活は、脊髄を切断されたカエル、火傷を負わされたウサギ、

大脳を除去されたネコ、手足を切られたイヌを中心にして回っている

のです。でも、肩をすくめて背を向けてはいけません―

つぎはあなたの番になるかもしれないのです」

        ニュージャージー州ブリガンティーン登録看護婦ジュリー・メイヨ―

 

    「(中略)野蛮な人間の中には、忠誠心と友情の点で

    これほど人間より優れているイヌを台に固定し、

    それを解剖して腸間膜静脈をわれわれに示しー

    そしてイヌも人間と同じ感情に関する器官があることがわかる

    と言う者がいる。答えてみろ、機械論者ども!

    自然がこの動物に物を感じてはいけないような感覚の源泉を

    与えたというのか?

    無感覚であるための神経をこの動物が持っているというのか?」

                           ヴォルテール『哲学事典』



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たいてい用済みになった小動物は、テーブルの尖った角に数回頭を打ちつけて殺してしまう。

あるオックスフォード大学の教授は、ウォーンフォード病院の臨床心理学であるリチャード・ライダーに、

自分の研究所ではラットはさっさと内臓を抜き出して「人道的に」殺してしまうと断言した。


「暴れる猫をおとなしくさせるには、首を吊るして半ば窒息させるか、クラ―レを投与する。

猫の短い鼻先を縛ることは難しいので、口を開かないようにする最上の方法は、

両唇を縫い合わせてしまうことである。」

チャールズ・ライヴォン『手引き書』

 




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腎炎の実験をするために、一頭のイヌがすでに手術台にしっかりと縛りつけた状態で運び込まれ、

     学生たちの前に置かれた。眼球のない一方の眼窩から血が流れ出していた。担当の教授は学生たちに、

     君たちの見ている傷は計画されている実験には関係のないものだ、実は少し前にもう一人の教授が眼球が

     一つ必要だったのだと説明した。デュ・プレルによると、この説明を聞いて、

     学生たちは急にどっと笑い出したとのことである。


     ドイツのヘルベルト・フリッシェ博士が書いていることだが、自分の大学での研究の最初の時期に、

     パヴロフのイヌの古典的な実験を目撃したとき、空腹のイヌが飲み込んだ食物が切断された食道から

     こぼれて足元に落ちているのがわかり、苦痛に満ちた驚きの表情を浮かべているさまを学生たちが見て、

     笑い出したそうである。


     科学者たちは、人間に起こることに真剣な関心を持っていれば、実際の自動車事故に関する医療記録は

     いくらでもあるから利用できるのであるが、それでも十分な記録がないと言わんばかりに、サルを使って実験

     したのである。ところが、サルは人間の何倍も抵抗性と体の柔軟性があり、結果が出ても当てにはならない。

     サルはそれぞれ衝撃橇に縛り付けられ、壁に衝突させられた。中には首を折ったり胸を潰されて死んだものも

     あり、また単に重傷を負っただけのものもあったが、似而非科学者たちは納税者の費用でさらにそれを研究

     することができた。

  
  



現代の蛮行より
  テューレイン大学の小さなサルたちは、仲間が衝突させられる

  さまを目撃したので自分を待ちうけている運命を知り、おびえた。

  いくつかの写真には、白衣を着た科学者たちがサルを橇に縛り

  付けようとしており、サルがもがいている有様が写されていたが、

  これらの人びと ―説明文字では「テューレイン大学の病理学者」

  となっていたが― は、彼らの小さな犠牲者の無駄な努力を見て、


  楽しそうに笑っていた。そして、この「病理学者」の一人は、

  泣き叫んでいるサルの脇の下をくすぐっていた。

 

                             

“動物実験によってもたらされる悲劇 -1-”